第37回おいでなんしょ寄席(同実行委員会、南信州新聞社、飯田文化会館主催)が3日夜、飯田市高羽町の飯田文化会館で開かれた。東西の落語界にまたがる大名跡「桂文治」の十一代目誕生を、東京から三遊亭小遊三、大阪から桂米團治を迎えて祝い、話芸を楽しんだ。大きな会場で開く文治の襲名披露興行は、飯田が最終。
襲名披露の口上は開演直後に行い、落語芸術協会の副会長を務める小遊三、上方を代表する落語家・桂米朝の名代として招いた米團治が、ユーモラスな口上で平成文治を祝福。約500人の来場者と一緒に前途を祈った。
文治はよく通る声で「落語を聴きにいくと若くなる。刺激がある人は元気なんです」などと話すと、先代が得意とした「源平盛衰記」を自分流にアレンジし、時間をかけて熱演。流行語大賞の一つ「じぇじぇじぇ」、ウグイスの鳴きまねも取り入れて爆笑を誘った。
年末の借金取りとのやりとりが楽しい「掛け取り」を演じた米團治は、JR中津川駅から飯田までの1時間のうちに運転手、寄席の実行委員から聞いた飯田の地名を、芝居口調の長いせりふにしゃれとして盛り込み、「高価なものはもう川路」などと話して来場者を大喜びさせた。
「短命」を選んだ小遊三はリニア中央新幹線が通る山梨県大月市出身とあって、「前回の東京五輪は新幹線と首都高速を間に合わせたのに、リニアは間に合わない。飯田までは造ればいいじゃないですか」と話すと、会場から笑いと拍手が起きた。
同寄席を構成する飯田市扇町出身の寄席文字書家、橘左近さんは「飯田で総仕上げの襲名披露をするという約束を守ってくれ、良い会になってよかった」と話した。
米團治は終演後「破天荒に明るく、程よく色気もある。いい人が文治になった」と襲名を喜んでいた。