宮垣外遺跡の出土品を市の有形文化財へ

文化・芸能

[ 2012年 6月 16日 土曜日 8時05分 ]

 飯田市教育委員会は14日に開いた定例教育委員会で、同市上郷別府にあった溝口の塚古墳の出土品201点と、隣接する宮垣外(みやがいと)遺跡の出土品13点を、学術的価値の高い考古資料として市有形文化財に指定した。

 両件の位置や時代性から、古墳時代中ごろに営まれた密接な関連性を持つ墳墓群と考えられており、市教委では「2件の出土品はこの地で馬の生産に携わった集団の実態を考える上で重要。同時に文化財指定することで、さらにその歴史的価値が高まる」としている。

 溝口の塚古墳は古墳時代中ごろの5世紀後半に造成された、全長推定47・5メートルの前方後円墳。国道153号線のバイパス建設に伴い、市教委が1996―98年度に発掘調査を実施した。

 出土した副葬品は鉄製の甲冑(かっちゅう)や直刀、剣が主体。直刀や剣の柄にはシカの角を用い、彫刻を施した装飾性の高いものもあった。これらの出土品から「古墳時代の武人の装備がどのようなものであったか知ることができる。甲冑が政治的目的で大和政権から地方の支配者たちに配布されたことから、飯田下伊那と中央政権との関係性を示す資料として重要」とされた。

 宮垣外遺跡もバイパス建設に伴う調査により、溝口の塚古墳の南側で発見された。大小さまざまな円墳の周溝や古墳の周辺に、いけにえにされた6頭の馬が埋葬されていたこと、一部から轡(くつわ)や鞍など鉄製の馬具が出土したことなどから、馬の飼育に従事した人たちの墓地であったと考えられている。

 出土品は5世紀後半の年代を示している。大陸から日本に馬と馬に関する文化が伝わったのは古墳時代になってからで、本格的に飼育が行われるようになったのは5世紀後半以降とされていることから、飯伊では全国的に早い段階で馬の飼育が始まったということができる。

 「市内で確認された馬具を伴う馬の埋葬は同遺跡を含め4例あるが、その中でも馬の装備がどのようなものであったかよく知ることができるもの。全国的にも限られており、貴重といえる」としている。

 市教委によると、今回の指定で同市指定文化財は99件、うち有形文化財は50件となった。

  

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