豊丘村河野の地蔵道地区にある三島遺跡で、縄文時代中期の土器「有孔鍔付(ゆうこうつばつき)土器」がほぼ完全な状態で見つかった。出土数が少ない特殊な土器で、調査を指導する松川町資料館の酒井幸則さん(63)によると、ほぼ完全な形で発見されるのは飯田下伊那では初めて。
村営住宅の建設に伴う発掘調査で1月末、竪穴住居跡のほぼ中央で見つかった。
この土器はたる型で、口径17センチ。全て掘り出されていないが、高さは30~40センチ。側面には幾何学模様が描かれている。上部の側面にはほぼ等間隔で直径数ミリの小穴がある。
酒井さんは「太鼓として使われた可能性があり、小穴は上部に動物の皮を張るためのものでは。また木の実などの醸造具も考えられ、小穴から発酵したガスを抜いたか」などとみた。ほぼ同じ高さの甕(かめ)も並ぶ形で見つかり「何か意味がありそうだ」と話した。
この他、縄文、古墳、平安といった各年代の住居跡が8棟分見つかった。珍しいものでは、平安時代の農具であるすきの鉄製刃先が完全な形で残っていた。刃先はUの字形で、土を掘り起こす部分を固定したとみられる。
村教育委員会は16日に現地を一般に公開し、調査結果について説明する予定。午後2時から。