踊り場に掛かる「残照」 「山の日」に福与悦夫を思う

文化・芸能

[ 2016年 8月 10日 水曜日 17時33分 ]

福与悦夫「残照」

 8月11日は「山の日」。山に登るのが好き、山を眺めるのが好き、ただ海よりは山が好き…と、人によって山をめぐる思いはさまざまだ。山を写真に撮る人がいれば、山の絵を描く人もいる。山登りもせず、山の絵も描かない人が、思いを寄せる「山の絵」。飯田下伊那にまつわる、気になる一枚を紹介しよう。

 

 飯田市公民館(教育文化センター)=吾妻町=の3階から4階の踊り場に、その絵は掛かる。「残照」と題された日本画。同市上久堅出身の画家・福与悦夫(1901~81年)の作品だ。

 

 1965(昭和40)年に制作された縦242・9センチ、横173・1センチという縦長の大作。市公民館完成の前年、75年に同館へ寄贈された。第8回新日展の入選作で、題名を「返照」とされたこともある。

 

 経年で全体に黄ばんではいるが、青墨と一部わずかに淡彩も使ったモノトーンの画面。上部には三角型の安定した山容を配し、下部には山裾をまとうように雑木林が広がる。近くで目にするような木々と、記憶に触れる親しみのある山が、抵抗なく見る側の気分を和ませる。

 

 「山の日」の制定理由に、こんなこじつけ説がある。8月の「八」は山の象徴的な形象であり、11日の「11」は木が立ち並ぶイメージだから。まことしやかな理由だが、その説からいえば、「残照」はまさに「山の日」にふさわしい絵といえるかもしれない。

 

 福与は1901(明治34)年、上久堅下平の豪農の家に生まれた。生家は神之峰(標高771メートル)の山裾のあたりだ。

 

 15歳で京都に赴き染色図案を学び、後に大阪美術学校に入学。同校校長の矢野橋村(1890~1965年)のもとで南画を学んだ。

 

 帝展から日展、新日展で入選を重ね日本南画院を足場に創作を展開、同院の常任理事に就任する。日中戦争では従軍画家として大陸に派遣されたこともあった。

 

 本来、「気韻生動」を趣旨とする南画だが、近代に入ると多様な表現が試みられた。福与作品も初期の写意性(心の内を写す)の重視から、近代化の流れの中で写実性を用いた作風に転化していく。

 

 山の絵には伝統的な山水画があり、実在の山を風景と捉える写実画もある。福与の作品を集めると、その「山」を主題にした作品が多いことに気づく。

 

 一見写実画だが、例えば「残照」を眺めていると、この山はどこの山だろうかとあれこれ想像したくなる。富士山だろうか、浅間山だろうか、それとも風越山か神之峰か…。

 

 福与は故郷を離れてから長く大阪の地で暮らした。もし山を描こうとしても「残照」のような三角型の山は、近くには望めないはず。だとしたら、やはり故郷・伊那谷の心象の山以外にはない。

 

 そう思って調べると、「残照」とほぼ同じ構図の軸作品を画集(「福与悦夫遺作集」2001年)の中に見つけた。「山水神峰」という。文字通りの山水画だが、上部の富士にも似た白い山が神峰(神之峰)だろうか。下部には、やはり雑木林をまとっている。

 

 制作年は不明。「山水神峰」は、心象の山々が重なり現出した「残照」と同じ普遍的な山の表明だ。そうなると神之峰の山容が、全ての山の原点になる。10代のころ、自ら「神峰」という雅号を用いたほどに、生まれ育った上久堅の歴史や風光を福与はことさら愛し、誇りにしていたのだろう。

 

 終生大阪で暮らした福与だが、戦後、意外にも飯田の人たちとの密接な交流があったことが分かった。おいにあたる福与永雄さん(86)=上久堅堂平=によれば、福与は松井卓治・第5代飯田市長と親交があり、帰省することも度々だったという。

 

 60年代後半には有力な地元実業家らの計らいで、画家として大成を期すための後援会準備も整っていた。「残照」の寄贈(予定)は、そのための布石だったのかもしれない。

 

 故郷の山のスケッチもしたことだろう。永雄さんに「これからどんどん絵を描くからな」と告げるほど希望に満ちた福与だったが、71年3月、大阪の画室で一酸化炭素中毒になる。以後、81年に他界するまで、無念にも絵筆を持つことはままならなかった。

 

 「残照」はある意味で福与の画業の中で最も意気の上がった時期の作品である。それは写意か写実かの表現法で苦悩した、近代南画の一つの到達点にあたる作品ともいえる。

 

 没後35年の今年、「山の日」が新しく国民の祝日となった。うれしいのは登山家ばかりではない。郷土の山を愛した画家、福与悦夫も草場の陰で喜んでいるにちがいない。
(村澤聡)

  

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