山本村(現飯田市山本)生まれの女性勤王家、松尾多勢子の生涯に学ぼうと、同地区女性団体連絡協議会と多勢子生誕200年記念顕彰事業実行委員会はこのほど、生誕200年記念講演会を山本公民館で開いた。講師の山内尚巳さんは女性を中心とした38人に、生い立ちから晩年までの歩み、人物像を分かりやすく説いた。
山内さんは、10人の子どもを産み育てた後、51歳で上洛して倒幕運動に加わるかたわら、若い志士たちを物心両面で支援し、維新後は「岩倉家の女参事」と呼ばれるまでになった多勢子の生涯を興味深く解説。「志士とは考えたことを実際に行う人のこと」「国学は『昔のように天皇中心の国に戻せ』という学問」と、予備知識のない人にも分かるよう丁寧に説明した。
公家宅にも出入りした京都時代の活躍は、「子どものころから身に付けた学問と書の力を武器にし、度胸が座っていたから成しえた」と解説。地方出の50代女性としては驚異的だが、女に生まれた身を悔やむ歌「ますら男の心はやれど手弱女の、かひなき身こそかなしかりけり」から当時の心中が読み取れると話した。
最後に「自分の年齢と重ね、どんなことを感じるか。女性が大いに活躍する時代だけに参考になるはず。人間形成には家庭と周囲の環境が大きく影響する」とまとめた。
女団連の大島美恵子会長は「現代の女性が地域や社会、政界で堂々と意見を述べている姿を多勢子さんが見たら、いよいよ私が思い描いていた社会になったと喜んでくれるはず」と話していた。