三六災害50年シンポジウム開く

地域の話題

[ 2011年 6月 21日 火曜日 9時13分 ]

 1961(昭和36)年に伊那谷を襲った三六災害から50年の節目を迎えたことを記念し、大災害の記憶を継承し地域の防災力の向上につなげようと、三六災害50年シンポジウムが19日、飯田市高羽町の飯田文化会館で開催した。

 同シンポは国、県、市町村などでつくる実行委員会の主催で開催。会場には約1300人が訪れた。会場、展示室では、飯田長姫高生徒のロゴマーク作品をはじめ、災害パネル展示や技術展示、災害対策車両が公開された。

 式典では、阿部守一県知事や牧野光朗飯田市長らがあいさつ。サイドイベントとして「演劇宿」による「演劇的記録三六災害五十年」も上演。大鹿村民約40人も出演し、災害の記憶を振り返った。

 基調講演では高森町在住の理学博士、松島信幸さんが、地形・地質との関連から三六災害を振り返った。伊那谷の地形を▽天竜川氾濫源▽土石流扇状地▽深層風化帯▽急峻山地―の4つに分け、各所の水害、土砂災害のタイプを指摘。「自然のサイクルは1日が1000年。人がいるから災害になる。主人公は自然」とし自然から生かされる生き方を訴えた。

 パネルディスカッションでは北澤秋司信大名誉教授をコーディネーターに5氏が討論。伊那市の災害ボランティアコーディネーター、米窪砂男氏は災害時の住民の助け合いが必要としながらも「近所付き合いが減り、助けてくれと言いづらい人がいる。一方、助けたいが何をしていいか分からない人がいる」と問題点を指摘した。

 草野愼一天竜川上流河川事務所長は、三六災害以降、治水・砂防事業が進んだ結果、同規模の豪雨があっても災害を防ぐことが可能だと強調。さらに水位で三六災の1・5倍、土砂で2~3倍を防ぐよう事業を展開していくとした。

 また、柳島貞康大鹿村長は、三六災害時に北川地区で住民の集団キャンプの様子などを説明。「ハード面での防災は進んだ一方で高齢化が進行し、住民相互の助け合いの力は三六災当時より弱まっている」と懸念した。

 このほか、松下寿雄飯島町議長が中川村で被災した経験を語り、木下隆由飯田商工会議所副会頭が三六災復旧や東海地震の備えを語った。

 質疑では、各界責任者が発言の中で「三六災」を「さぶろくさい」と名言したことについて地域の有識者から「正しくはサンロク。サブロクと読むのは俗称的発言呼称で、適切ではない」とする意見があった。

  

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