大鹿で「三六災害」語り継ぐ会

地域の話題

[ 2011年 6月 30日 木曜日 15時42分 ]

 1961(昭和36)年に伊那谷を襲った豪雨災害「三六災害」から50年の節目を迎え29日、大鹿村主催、実行委員会共催「三六災害を語り継ぐ会」が交流センターであった。小中学生ら約200人が参加。体験談や映像を通して村の半世紀を振り返り、災害の教訓を後世に残していくという思いを強くした。

 出席者全員で犠牲者への黙祷をささげ、柳島貞康村長は「50年前の記憶をしっかり引き継ぐことが大事であり、語り継ぐことが私たちの責務」と述べた。

 三六災害を経験した大河原の女性(87)が「大西山の大崩落」と題し追想。大西山が屏風が倒れるように崩れ、その土砂が背後に迫る中、泥まみれになって必死に逃げたといい「恐ろしさに震えた」と語った。

 50年前の援助物資でいまも大切に使っているという鍋、まな板、お椀の3点を持参し「忘れてはいけないもの」として紹介した。また災害経験を踏まえ「つらい時に耐えられるよう体を十分に鍛えてほしい」と、子どもたちにメッセージを送った。

 中学生代表の女生徒(3年)は「大勢の人が家族や家を失くし、悲しくまた悔しかったと思う。同じことが起きないためにも、この災害を忘れてはいけない」と訴えた。

 伊那市長谷境の分杭峠近くにある鹿塩の北川地区は、土石流によって大きな被害を受け、村外への集団移住を余儀なくされた。うち元住民9人が事前に集まり、北川分校が破壊するなど当時の様子を語り合う映像も流した。信大の北沢秋司名誉教授による講演や意見交換会もあった。

 村によると、同年6月29日午前9時すぎ、集中豪雨のため大河原の大西山が高さ約450メートル、幅約500メートルにわたって崩壊し、わきを流れる小渋川に大量の土砂が崩落。およそ320万立方メートルの土砂がふもとの集落を直撃した。全半壊39戸、死者・行方不明者42人。鹿塩川の氾濫なども重なり、村全体では死者・行方不明者55人、全半壊・流失162戸という甚大な被害をもたらした。

 崩落があった大西山の一帯はその後、大西公園として整備され、いまでは桜の名所になっている一方、崩落した痕跡をいまも残す。

  

関連の注目記事

powered by weblio


  

こちらの記事もどうぞ(広告を含む)

     







記事の検索はこちらから
















スポンサーリンク


南信州電子版購読

ふるさと納税でもらえる 南信州新聞 ふるさと納税でもらえる 南信州新聞