市教委が飯田城下町遺跡の見学会

地域の話題

[ 2012年 5月 14日 月曜日 11時02分 ]

 飯田市教育委員会は12日、市役所の新庁舎と市道建設に先立ち埋蔵文化財発掘調査を実施している「飯田城下町遺跡」の現地見学会を実施した。地元の住民など約60人が参加。今回の調査地から発見された蔵の根石の石組みやトイレ、井戸など江戸時代から続く箕瀬町の町屋に関わる遺構を見学した。

 今回の調査地は、箕瀬町1丁目の北側の市道144号線改良部分約500平方メートルと南側の市道新設部分約150平方メートル。北側調査区の東側の一部は2月8日~17日、それ以外は4月16日から3週間にわたり発掘調査を行った。

 調査担当者の説明によると、箕瀬町は江戸時代初期の17世紀後半の脇坂候の時代には、王竜寺川沿いに侍屋敷があり、その西側には畑地が広がっていた。堀候の時代に侍屋敷が縮小され、箕瀬町の通りには侍屋敷などが並んでいた。明治時代以降も通りに面して町屋が並んでいたことが絵図などから分かるが、今回の調査でその町屋に関する遺構が検出された。

 箕瀬町は江戸時代後期の1823年の床屋火事と1831年の箕瀬大火に遭っているが、昭和22年の飯田大火では被災していない。今回の調査から大火の後の1830年代に整地され、新しく家並みが再建されて、それが現在まで続いていたことが分かった。

 また、北側調査区の中央に石組みの溝で敷地が分かれており、さらに北側の蔵の部分で別の敷地になる。中央部にある木桶(おけ)と甕(かめ)の2組のトイレも敷地が異なっていることを示している。このことから、通りに面する箇所に母屋があり、その裏にトイレや井戸が設けられ、さらに奥には蔵があるという絵図と発掘調査の結果が一致した。

 南側調査区からは、昭和40年代まであった種苗店が種などを保存したムロの石列や、洪水の時にムロに埋まった砂なども見つかった。

 今回の発掘調査では上層部分を約60センチ掘ったが、さらに古い時代の層を調べるため、記録をとった後、さらに20センチぐらい下層の調査を実施することにしている。

  

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