戦争遺構 松やに採取痕を見学 上田のグループが野底山で

地域の話題

[ 2017年 7月 27日 木曜日 17時30分 ]

採取痕を見学

 太平洋戦争中に航空機の燃料に利用されたとされる「松やに」の採取痕を戦争遺構として発信している上田市の自然保護団体「ヤマンバの会」の6人が26日、痕が残る飯田市上郷黒田の野底山森林公園を訪れた。毎木調査を実施して明らかにした上郷の森林環境インストラクター、寺岡義治さん(81)が案内。両地域の共通点を確認しながら、戦争遺構として守り伝える重要性を確認し合った。

 「松やに」は、戦時中に戦闘機の燃料となる原油が不足したことから、国策で採取が進められ、飯田下伊那地域でも各地で集めたとされる。

 寺岡さんは旧上郷町林務課職員時代の1985(昭和60)年に、園内の一部の木にV字状の傷跡があるのを見つけ、口承をもとに現地に案内板を設置。一昨年から昨年にかけて毎木調査を行い、75本のアカマツの根元に傷を確認した。

 ヤマンバの会は寺岡さんの連絡を受けて来訪。ヨキトギの道と名付けられた遊歩道内で、展望台近くの尾根沿いに広がる現地を見学した。

 飯田の痕跡は、上田のものよりタテの長さが短いことが判明。44(同19)年ごろから全国一斉に採取を始めたとされていることから、両者は「戦後にどれだけ長く続けたかの違い」と考察した。

 飯伊でも、戦後も一部が地域の樹油工場によって使われたとされている。

 寺岡さんは、飯伊全域を対象に実施した松根油に関する聞き取りの結果も伝えた。切り株をチップ状に砕いて乾留したとされるが、泰阜村で当時の乾留釜が見つかったことも明かした。

 ヤマンバの会の村山隆会長(70)は「共通点が多く、あらためて、太平洋戦争の遺構として発信することの大切さを感じた」と語った。

 寺岡さんは「今度はこちらが上田を訪れてみたい」とし、「消された戦争の歴史をたどる資料。交流を深めて保存継承の在り方などもともに探れたら」と話していた。

  

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