松尾多勢子胸像見つかる

地域の話題

[ 2011年 5月 23日 月曜日 14時12分 ]

 豊丘村など飯田下伊那にゆかりのある幕末の女流勤王家、(1811―94年)の胸像が、岐阜県中津川市で見つかった。多勢子の生誕200年にちなみ、多勢子の企画展を計画していた同村教育委員会が石膏でできた胸像を確認。所蔵者から寄贈の話もあり、恒例「豊丘まつり」(11月12、13日)に併せて企画展を開き胸像を披露したいとしている。

 生誕200年の節目に企画展を計画していた村教育委員会が昨年、多勢子の伝記『たをやめ(手弱女)と明治維新』(05年発行、東京・ぺりかん社)にブロンズ胸像の写真があるのを見つけた。「伊那谷在住の彫刻家が飯田の中学校へ贈るために、多勢子のブロンズ胸像を彫った」という記述を頼りにブロンズ胸像を捜索。しかし、該当する学校には残っていなかった。

 今度は「その複製は、中津川の間(はざま)家に贈られた」との記述に着目。中津川市にある中山道歴史博物館を通じ、かつて美濃の豪商として知られた間譲嗣さん(78)方にたどり着いた。

 同村の筒井良二教育長ら3人は17日、中津川市を訪れ、箱に収まった状態で蔵でねむっていたという複製品を確認した。高さ38センチ。石膏でできているものの表面は茶色の塗料で覆われており、筒井教育長は「ブロンズ像と見間違うほど」。間さんが何十年ぶりに箱を開いたとあって保存状態も良い。

 多勢子の孫のすゑが間家に嫁いだのが縁とみられる。

 それまでの経緯を聞いた間さんは「それならば村に寄贈したい」と快く申し出た。

 筒井教育長は「見つからないかもしれないと思っていただけに、驚きであり感激」と喜び、見つかった像を通して多勢子に対する村民の意識が変わることにも期待した。

 伝記によると、ブロンズ胸像と複製は、泰阜村出身の彫刻家、倉沢興世(明治28~昭和55年)が制作した。柔和な表情が特徴。多勢子の没後、晩年期の写真をもとに手掛けたとみられる。ただ何年に彫られ、誰が制作を依頼したかは不明。村教育委員会は「どこまで解明できるか分からないが突き止めたい」と話した。

 村は生誕200年の節目に、多勢子のブロンズ像を作る計画。11月の企画展では村歴史民俗資料館にある関係する資料を展示したり、旅日記も並べたいとしている。また村史学会が年に1度発行している「豊丘風土記」の第21輯で松尾多勢子特集を予定している。

  

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