松川町で水利権古証文検分会

地域の話題

[ 2016年 11月 9日 水曜日 16時49分 ]

002松川町水利権

 松川町を流れる松川(現片桐松川)の水利権が記された古証文の検分会が8日、町内で開かれ、関係する井組の惣代(そうだい)ら25人が参加した。水争いをきっかけに作られた証文で、毎年この時期に開封され、それ以外は地元の金融機関の金庫で大切に保管される。桐の箱から慎重に取り出して広げ、246年前に決められた水利権を確認し合った。

 

 検分会は古くから年に1度開かれ、今でも水利権を確認する場になっている。

 

 元町資料館職員で郷土史に詳しい酒井幸則さん(66)=豊丘村神稲=によると、周辺は米を作り難い地形とあって、水争いは古くから繰り返された。1709(宝永6)年の干ばつをめぐる水論が、記録に残っているもので最も古い。当時の状況は「稲作に天竜川の水は使えず、湧き水や片桐松川から引っ張るしかなかった。そのため渇水期になると争いが頻繁に起きた」。

 

 1770(明和7)年、松川の上流と下流の井組間で起きた水争いを端に、江戸幕府の最高司法裁決機関「評定所」まで持ち込まれた。そこでの用水配分が証文に記されている。

 

 証文は松川の水利権を証明する唯一の書物とされる。幅30センチ、長さは約6メートル。この日は箱を覆う白い紙を外し、箱の中から巻かれた証文を取り出してゆっくりと広げ、酒井さんから解説を受けた。立ち会った深津徹町長は「先人たちの苦労がうかがえる」とうなずいていた。

 

 いまの判決文に当たり、争いの発端から判決までが詳しく書かれている。酒井さんは「松川井水の憲法とも言うべきもの。今も効力はある」と説明。また地元に残る貴重な資料といい「後世に伝えてほしい」と願った。

 

 解説の後、証文は再び丁寧に丸められ、収めた箱には白い紙を巻き付け、紙のつなぎ目に関係者18人が持参した印鑑で順番に押印。証文が入った箱は翌日、来年度の当番井が金融機関に預けた。

 

 酒井さんによると、残っているのは訴訟の翌年に書き写されたもので、原本の所在は分かっていない。

  

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