江戸時代の「遠山地震」広域被害明らかに~ 美博の坂本研究員調査~

地域の話題

[ 2014年 1月 20日 月曜日 12時03分 ]

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 1718(享保3)年に飯田市南信濃和田を震源として発生した、マグニチュード(M)7・0の遠山地震による被害が、飯田下伊那地域だけでなく静岡、愛知、岐阜の3県にも広がっていたことが、市美術博物館の専門研究員、坂本正夫さんの調査でこのほど明らかになった。

 

 約40年前から中央構造線などの地質学的な調査研究に取り組む坂本さんは、中央構造線沿いに大きな被害をもたらしたという遠山地震の被害規模を調査しようと、論考や各地の市町村誌、地域の古文書類に当たって地震に関する記録を調べた。

 

 古文書類の調査では、同館職員の協力を得ながら被災地や被害規模、状況などを読み解き、現地に赴いて住民から聞き取りを行ったり、地形・地質などから場所を判断。県内だけでなく周辺県の資料も調べるうちに、遠山地震が原因と考えられる被害があったことがわかった。

 

 確認できたのは4県の計35カ所で、このうち飯伊は市内をはじめ天龍村、泰阜村、阿南町、下條村、喬木村、阿智村の22カ所。山の斜面の崩壊や、田畑・人家などの崩落、破損などがあった。他県内では松本市や諏訪市、伊那市、木曽郡など。県外では、愛知県犬山市の犬山城や岐阜県中津川市の苗木城、同県恵那市の岩村城で石垣が崩れたことなどが明らかになった。

 

 下條村の鎮西(ちんぜい)家に伝わる文書には、阿南町新木田と浜松市天竜区横山町で天竜川がせき止められたという記述がある。新木田の天竜川斜面には、現在も崩落の跡が残っているという。

 

 遠山地震と同じく内陸地震であった2004年の新潟県中越地震(M6・8)でも、川がせき止められたり山の崩落が起こっている。坂本さんは二つの地震の被害状況を比較し「遠山地震は中越地震と同程度か、それを上回る規模の災害だったのでは」としている。

 

 「これまで遠山郷周辺でしか被害はなかったと考えられていたが、さまざまな資料をもとに実地調査を行う中で、かなり広い範囲に渡っていたことがわかった。天竜川2カ所が埋まるほどの被害があったことにびっくり」と話していた。

 

 今後坂本さんは、内閣府中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会」委員で、国立歴史民俗博物館の北原糸子客員教授から要請を受け、研究内容をまとめた論文を提出。また同館で、19日に開く「びはく学芸祭」で概要を報告する他、3月8日から開催する特別陳列「地震と地盤災害」でも研究成果を発表する。

 

  

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