豊丘村 縄文土器にアズキの圧痕 国内最多300粒

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[ 2015年 8月 21日 金曜日 16時13分 ]

 豊丘村神稲の伴野原遺跡で出土した縄文時代中期(約4000~4500年前)の深鉢の土器から、アズキの圧痕(あっこん)が発見されたと20日、豊丘村教育委員会が発表した。明治大学研究・知財戦略機構の会田進客員研究員らの研究で明らかになった。土器には約300粒の圧痕があり、会田さんによると、1個体の粒の数は国内最多。伊那谷を含む縄文時代の中部山岳地域では、栽培化への試みがあったと考える根拠だと指摘した。

 会田さんや総合研究大学院大学先導科学研究科の那須浩郎助教ら研究グループが村交流学習センターで発表した。伴野原遺の発掘担当だった酒井幸則さんも同席した。

 今回の発見は、約4500年前の伊那谷で、アズキを栽培しようとする試みがあったことを裏付ける。

 伴野原遺跡は縄文時代中期の集落遺跡で、1976(昭和51)年の発掘で、国内最大の大きさを誇るパン状炭化物や、多量の種子圧痕が残る土器などが見つかっている。

 今回の出土品の再整理では、土器の作製過程で粘土に混入したマメ科種子が焼け落ちてできたとされるくぼみに、シリコーン樹脂を流し込んで型を復元し、電子顕微鏡で調べる「レプリカ法」を採用。伴野原遺跡で出土した土器片の中から、豆類とみられる痕跡について分析した。

 その結果、発掘当初ガマズミの実と考えられていたものが、180粒のアズキであることが分かった。さらにX線写真撮影を試みたところ、土器片の内部に119粒の圧痕が隠れていた。長さはいずれも7ミリ前後。

 どのような理由でアズキが土器に練り込まれたかは不明だが、縄文時代の食文化や生業の実態が見える興味深い発見となった。

 会田さんは、人間がいかに自然資源を利用して文明の発展を進めてきたかという資源環境系研究において、大きな意味を持つと指摘。中部山岳地域では縄文時代中期を中心に豆が積極的に利用されたことは分かっていたが、縄文人が利用しただけでなく、栽培化への試みがあったと考える根拠となる貴重な発見とした。

 寺沢宜勝教育長は「貴重な資料であり、新たな発見。ここに住むものにとって大きな誇りにもなる」と話した。

 圧痕とは、土器の粘土中に混入した植物の種子や昆虫などの痕跡で、土器が作られた当時の周囲の環境などが読み取れる。

  

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