飯田城桜丸御門の開門式開く

地域の話題

[ 2017年 4月 6日 木曜日 16時32分 ]

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 南信州地域振興局(山本智章局長)は6日、飯田市追手町の県飯田合同庁舎敷地内にある飯田城桜丸御門(通称・赤門)の開門式を行った。23日まで開門しており、期間中は自由に通り抜けができる。

 開門式は2000年から同じ敷地内にある「桜丸御殿址のヒガンザクラ」(夫婦桜)の開花時期に合わせて行っており、名桜を観にくる人たちの往来に供している。今年はまだ桜は咲いていないが、開門中には咲くことから多くの人たちが赤門をくぐって風情を楽しめる。

 18回目の開門式には、この日入学式を済ませた追手町小学校の新入生19人(昨年30人)とその保護者、来賓の市や地元関係者を招き、一緒に赤門をくぐって新たな門出を祝った。

 式典では、同小学校の児童による「天龍太鼓」のアトラクションが天候不順により会場の状況が不良のため中止になった。主催者の山本局長は「260年ほど前に桜丸へ出入りするために建てられた。今では全国に3つしか残っていない。飯田藩主の功績が認められ特別に許可された」と赤門の歴史を紹介。「残念なことに桜は咲いていないが、一緒に赤門をくぐって新しい門出を祝いたい」と述べ、緑化運動推進のため、入学記念として緑化木の西洋シャクナゲを新入生に頒布した。

 新入生を代表して西洋シャクナゲを受け取り、先頭を切って赤門をくぐった秋元敬士郎君(7)の父で会社員の満さん(48)=大久保町=は「6年生になった長男と4年生になった二男も赤門をくぐった。飯田を代表する赤門で記念に残ること。兄たちにもまれて元気に学校に通ってもらえれば」と願った。

 【赤門の概要】

 飯田城桜丸御門は、江戸時代宝暦4(1754)年に建築された屋敷門。間口7・27メートル、奥行4・60メートル、高さ7・60メートル。扉や柱などがベンガラで赤く塗られていることから、通称「赤門」と呼ばれている。明治維新の廃藩により、飯田城の建造物などが取り払われた中で、この門だけが奇跡的に残されたため、今は飯田城唯一の遺構となっている。

 屋根は入母屋造り破風で、棟の一部を白い漆喰(しっくい)塗りとしている。妻飾には木連格子とかぶら懸魚をつけている。

 明治以降、飯田県、筑摩県飯田支所、下伊那郡役所の正門となり、大正13年に長野県に寄付され、以後、下伊那地方事務所の正門として使用されていた。昭和46年飯田合同庁舎建設とともに通用門としての役目は終わり、その後は同地方事務所(この4月から南信州地域振興局)が行政財産として管理している。

 昭和60年には飯田市教育委員会から「飯田市有形文化財(建造物)」として指定され、平成22年度には雨漏りの補修、屋根瓦の更新、赤い塗料のベンガラの塗り替えなど25年ぶりの大規模な改修を実施した。この時、新たに明治33年の改修記録なども発見された。

  

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