戦後73年・伝える記憶2 「悲劇伝えるきっかけに」 水曲柳会が慰霊碑移転

連載

[ 2018年 8月 17日 金曜日 17時09分 ]

移転した慰霊碑の前で追悼する澤柳会長と寺沢さん

 飯田下伊那地域から旧満州(中国東北部)吉林省に入植した水曲柳開拓団の戦後連絡組織「水曲柳会」(澤柳忠司会長)はこの春、飯田市下久堅柿野沢にあった慰霊碑を箕瀬町1丁目の長源寺に移した。犠牲者追悼のため、1994年に建立して守ってきたが、関係者の高齢化や今後の維持管理を課題に移転。25日に入魂式と慰霊祭を計画している。

 同開拓団は、地元出身の旧満州官僚の提唱で1937(昭和12)年から現在の吉林省舒蘭市に入植。最終入植者数は約1090人で、飯伊送出の開拓団では最大規模だったとされる。

 会は引揚者らで75(昭和50)年に結成し、開拓団跡地の訪問や現地児童の支援等を継続している。

 94年に関係者宅の敷地に慰霊碑を建立し、水曲柳現地や新京での越冬中に亡くなった殉難者420人の名前を刻んだ「殉難者芳名簿」を納骨室に納め、慰霊行事を重ねてきた。

 会員の高齢化で将来の維持管理に不安が生じたことや、丘陵上部で墓参りが困難になった人が増えたことから、昨夏の総会で移転を決定。建立時から永代供養し、位牌を預かる長源寺に協力を求めた。

 昨秋からの修繕を経て、同寺の一角に建立。25日に早川英章住職(75)の司祭、読経で移転法要を執り行うことにした。

 構成員の高齢化に伴い、飯伊各地で開拓団戦後組織の存続や慰霊施設の維持管理の問題が顕在化する中、解決策の一つとして注目される。

 3歳で渡満し、終戦翌年の46(同21)年に8歳で帰国した澤柳会長(80)=飯田市上郷黒田=は、帰国に向けた1年間の逃避行が「とにかく怖かった」。忘れられない記憶があるからこそ、「伝える」大切さを痛感している。

 「こういう時代だからこそ、戦争の悲劇を伝えたい。街の中に移った慰霊碑の存在がきっかけになれば」。

 早川住職は「長年、会の手伝いをしてきたので、寺の一角に移して永代供養をしたいとの思いに応えたかった」と振り返る。「本堂のお経の声が届く場所。戦争の悲劇に見舞われた方たちの慰霊につながれば」と語った。

 終戦からことしで73年。戦争体験者の多くがこの世を去り、伝承者としての「語り部」だけでなく、慰霊施設や行事の維持管理にも2世、3世の果たす役割が大きくなっている。

 同会の中心にいるのは事務局長の寺沢秀文さん(64)。満蒙開拓平和記念館の館長も務める。

 移転法要に向けて「移転した慰霊碑を守り続けていくためにも、2世、3世の皆さんの参加を期待したい」と呼び掛けている。

 問い合わせは寺沢さん(電話0265・24・6186)へ。

(つづく)

  

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