震災から5年 下條村と泉崎村の職員交流

社会

[ 2016年 3月 11日 金曜日 8時12分 ]

 未曾有の被害をもたらした2011年3月の東日本大震災からきょう11日で5年が経過した。義援金や物資提供、被災者の受け入れ、人的交流をはじめ、飯田下伊那地域でも輪が広がった被災地支援の動きは、状況に応じて形を変えながら今なお続いている。

 職員の派遣交流から始まった下條村と福島県泉崎村のつながりは、東日本大震災から5年が経過したいまも強い絆となって続いている。震災発生当時、下條村役場の宿直室でテレビ画面越しに故郷の状況を把握したという泉崎村からの派遣職員、三村弘さんは「震災後は村民の優しさに感動し、研修の半年間では何を最優先すべきかを学ばせてもらった」と振り返る。

 泉崎村の職員や議員が下條村を視察したことがきっかけで、2010年4月から下條村への職員派遣が始まった。年間2人、4年半で計9人が同村の施策を研修・研究した。現在泉崎村の住民福祉課に勤務する三村さんは2人目の研修員で、10年10月から震災発生後の11年3月末まで下條村職員として勤めた。地震の状況は役場のテレビから祈るように見たという。

 下條村は地震発生後すぐに防災無線を使い、紙おむつや粉ミルク、毛布、布団など必要物資の提供を村民に呼び掛け、同18日には4トントラックいっぱいに詰め込んで三村さんの先導で泉崎村に救援物資を送り届けた。三村さんは「村は、いまあるもので提供を―と呼び掛けたが、腰の曲がった高齢のおばあさんが粉ミルクを持ってきてくれた時は、購入してきてくれたことがすぐに想像でき、感動で涙がこぼれた」と感慨深げに語る。

 その後も下條村はジャガイモやカボチャ、タマネギを「救援物資」として泉崎村に送り、学校給食に活用された。それはいまも「交流物資」として続いている。

 泉崎村で年1回開く産業収穫祭にも3年前から参加するようになった。下條の特産品を販売し、カッセイカマンもショーを繰り広げて交流を深める。ことし2月には伊藤喜平村長や村議員らが、震災被害の影響を受けて新築し、この4月から業務を開始する泉崎村の新庁舎を見学に訪れた。

 一方、下條村で半年間の研修を終えた泉崎村職員の9人は「下條会」を設立。下條村のリンゴオーナー制度にも登録して毎年秋には収穫に訪れ、同村の役場職員らと昔話に花を咲かせる。「泉崎村職員の6割くらいの少人数で1人何役もこなす状況に驚いた。すぐ行動するという教訓を肝に銘じて、ここでの仕事に生かしている」と三村さん。「両村は450キロほど離れているが、いまではとても身近に感じることができる」と語る。

 下條村役場の佐々木洋平さんは震災後から何度も泉崎村に足を運ぶ役場職員の1人だ。「以前はマンホールが道路から突き出し、ガードレールはゆがみ、除染作業が行われていた。現在は道路もきれいに舗装され、収穫祭に参加しても温かく受け入れてくれる。ありがたいこと」と話している。

 両村は未曾有の大被害をもたらした東日本大震災を通して、人と人の絆を一層深いものに築き上げた。三村さんには目標がある。「下條村と災害協定や姉妹都市提携を結びたい」。

  

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