三菱重工業は7日、国産ジェット旅客機の開発を中止する方針を示した。飯田下伊那地域の航空機産業関係者は「国内での完成型製造は長く停滞するかもしれない。今後は海外メーカーや防衛機、電動化にシフトしていくが、地域の下請け事業者にとっては厳しい状況が続く」とみている。
「スペースジェット」(旧MRJ)は国産初のジェット旅客機として期待されたが、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で航空需要が落ち込んだことなどから、事業を事実上凍結し「2024年以降の回復期に備える」としていた。
同社は第3四半期決算説明の中で開発活動の中止を正式に表明。高度化した民間航空機の型式認証過程の理解不足、長期にわたって開発を続けるための経営資源の不足を反省点として挙げた。
今後は海外OEMとの連携強化や完成機を見据えた次世代技術の検討、次期戦闘機への知見活用、愛知県にある施設と設備の活用などに取り組む方針。
飯田市では航空機を将来の地域を支える産業に育てようと、2006年に飯田航空宇宙プロジェクトが発足。同時期に多摩川精機を中核に、部品を製造する専門的な共同受注グループ「エアロスペース飯田」を立ち上げ、航空機部品の試作、量産に携わってきた。
19年1月には県航空機産業振興ビジョンの中核を担う拠点で、国内唯一の航空機システム支援施設「エス・バード」を飯田市座光寺に開所した。
飯田航空宇宙プロジェクトの発起人となった南信州・飯田産業センター理事の萩本範文さん(78)は、三菱重工業の撤退について「これだけ失敗が続いてしまうと日本で(ジェット旅客機の)完成型を造るのは難しくなり、かなり長く停滞するかもしれない」との見方を示した。
ただ、市内の大手事業者はこれまでの間に海外メーカーのエアバス、ボーイングなどとのネットワークを形成しており、防衛機関連の業務にも注力している。「空飛ぶクルマ」やドローンといった航空機電動化も成長が期待されている。
萩本さんは「今後は海外メーカーの下請けとして仕事をすることが航空機産業においては重要になり、防衛機も同じジャンルの仕事として増えていく。エス・バードの試験設備も電動化関連の利用が増加される。ただ、スペースジェットに期待していた全国の航空機クラスター、地域の下請け企業にとっては依然として厳しい状況が続くかもしれない」としている。
◎写真説明:スペースジェット 撮影=辻元健朗(南信州新聞写真部)