飯田市千代小学校の6年生4人が、旧千代村から旧満州へ渡った開拓団らをまつる慰霊碑の調査や維持管理活動に取り組んでいる。慰霊碑のプレートを磨いて清掃し、名前が刻まれている犠牲者の名簿をデータベース化した。清掃活動は下級生にも広がり、6年生は「これからも慰霊碑を守り、満蒙開拓の歴史を伝えたい」としている。
碑は同校近くの廣籏八幡神社境内にある「満州開拓慰霊碑」で、旧千代村の分村開拓団「窪丹崗(わんたんがん)千代村開拓団」を中心に、333人の犠牲者の名を刻んでいる。
6年生は昨年5月、よこね田んぼの田植えの帰りに慰霊碑を見つけた。自分たちと同じ苗字があり、多くの名が刻まれていることから戦争で亡くなった人の碑ではないかと考えて学習を開始。阿智村の満蒙開拓平和記念館を見学し、体験者の近藤丑男さんと増田信義さんの2人の証言を聞いた。
7月から碑の清掃を実施。銅板プレートを磨き、周辺の掃き掃除などに汗を流した。
住民から名前を記録してほしいとの要望があり、名簿のデータベース化に着手。鉛筆で碑の拓本を取り、「長野県満州開拓史・名簿編」や「千代村史」と照合しながら、一人一人の亡くなった場所や日時、死因を調べて入力した。これまでに333人中、331人まで照合が完了した。
碑の清掃とプレート磨きの活動は下級生にも広がり、10月には3~6年の児童会メンバーも加わった。
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6年生は27日、満蒙開拓平和記念館(阿智村)の寺沢秀文館長を招いて出前授業を受けた。調査し照合してきた名簿データベースのDVDを寺沢館長に手渡した。
寺沢さんは千代の開拓団について説明。千代からは一般開拓団479人、青少年義勇軍29人の計508人が渡満したが、生還したのは約半分だった。一般開拓団のうち、3割以上の180人が12歳以下の子どもで、生還者は63人(35%)だった。
県内には56基の満蒙開拓の慰霊碑があり、飯田下伊那地域にはうち12基がある。寺沢さんは「碑を建てた体験者の多くが亡くなり、高齢化が進む中で、慰霊碑の維持管理が危ぶまれている」とし、「そんな中、小学生が名前を調べて維持管理をしていることは全国でもまれで、先進的な取り組みだ」とたたえた。
担任の坂下力教諭が調査で分かったデータを紹介。死因はチフスが最多で、気管支炎や肺炎と続き、チフスは大人、気管支炎・肺炎は子どもに多かった。
女子生徒(12)は「飯伊の人が一番多く満州に行って、たくさんの人が亡くなった。悲惨な歴史が分かりびっくりした」と振り返り、男子生徒(11)は「自分たちは大切なことをしていると分かった。満蒙開拓を伝え、慰霊碑を皆で守っていきたい」と語った。
寺沢さんは「慰霊碑を守ることで、亡くなった人の思いは生き続ける。満蒙開拓は忘れてはならない大事な歴史。自分ごととして学び、多くの人に語り継いでいってほしい」と願った。
◎写真説明:慰霊碑の銅板を磨く千代小の児童