阿智村駒場の満蒙開拓平和記念館で11日、旧満州(中国東北部)の犠牲者を追悼する「鎮魂の夕べ」があった。元満蒙開拓団員らが参列し、史実を語り継ぎ、平和を守っていくことを誓った。
1945年にソ連軍が満州に侵攻した8月9日に合わせ毎年開いている。新型コロナ感染拡大を受け縮小して実施し、15人が参加した。
参加者は、満州がある北東の方角を向いて黙とう。松川高校ボランティア部が作った千羽鶴を献納し、参加者が一人ずつ「鎮魂の碑」に白いカーネーションを献花した。
清水可晴副館長が寺沢秀文館長のあいさつを代読。ロシアのウクライナ侵攻に触れ「ソ連軍が旧満州へ侵攻した記憶を呼び起こさせたが、ロシアはかつての日本で、ウクライナは旧満州とも置き換えられる。被害と加害の立場が入れ替わり、多くの犠牲が出るのが戦争」と指摘。「歴史から未来の平和に向け教訓を学ぶのが犠牲者への慰霊、鎮魂になる」とし、「満蒙開拓の史実を語り継ぎ、『平和への種まき』に励んでいく」と力を込めた。
元水曲柳開拓団員で豊丘村神稲の原千代さん(88)も参列。11歳で終戦を迎え、原さんは旧満州で父や妹ら5人の家族を亡くした。2015年に旧満州に行った際、現地の百日草の種をもらい、以来毎年自宅で花を育てて種をつなぎ、鎮魂の夕べで飾っている。
原さんは「ウクライナの子どもの涙を見て、父が出征した際泣いて見送った自分と重なった」とし、「1日も早く平和な世界に戻ってほしい」と願った。
◎写真説明:鎮魂の碑で献花する参加者