旧満州(中国東北部)の水曲柳開拓団の関係者でつくる「水曲柳会」(沢柳忠司会長)主催の訪中団は8月23日から27日までの5日間、吉林省舒蘭市の水曲柳開拓団の跡地や団員らが終戦の年の冬を過ごし多くの犠牲者を出した長春市(旧新京)などを訪問した。元開拓団員の高齢化が著しく、「元開拓団員を伴っての訪中は恐らく最後」として募った。現地住民との交流や慰霊を通じて平和と友好の思いを新たにした。
同会は自由移民開拓団としては全国最大規模だった水曲柳開拓団の元団員やその家族を中心に結成。1980年の第1回以降11回にわたって、旧開拓地を訪ねる訪中事業を行ってきた。
2017年以来12回目となる今回の訪中は元開拓団員やその親族、一般参加者など15人が参加。旧上郷村(現飯田市上郷黒田)出身で、10歳まで家族とともに水曲柳で暮らした北原武司さん(84)=東京都練馬区=が団長を務めた。
舒蘭市の水曲柳鎮では、同鎮人民政府の郭亮鎮長らと懇談。その後は日本人犠牲者を戦後に葬った共同墓地の跡地などを回った。
墓地跡地周辺は一面トウモロコシ畑になっており、近隣住民の案内を受けながら、人の背丈よりも高いトウモロコシの中を縫って目的地を目指した。かつて逃避行の際にトウモロコシ畑をさまよった開拓団員もいたといい、参加者たちは「当時もこのようにトウモロコシの中を歩いたのか」などと思いをめぐらせながら献花や慰霊を行った。寒冷地での農作業指導のため、北海道実験農場の干田班として水曲柳に入植した祖父を持つ参加者がいたことから、今回初めて干田班の旧入植地にも訪れた。
ハルピン市では、日本人の残留孤児を育てた李淑蘭さん(95)や、李さんのような中国人養父母を支援する「中国養父母連絡会」と交流。周囲の猛反対に遭いながらも「子どもの命を救いたい」という一心で孤児を引き取った李さんの体験談を聞いたり、夕食をともにして懇親を深めた。
参加者からは「実際に現地を訪れたことで大地の広さを実感し、当時の人たちが満州に憧れを持った気持ちが分かった」「家族を誘ってまた参加したい。今後も訪中を続けていって」などの声が寄せられた。
当初、元開拓団員3人の参加を予定したが、体調不良などで2人が参加を見合わせたため、元開拓団員は北原さん1人に。帰国後に体調を崩した高齢の参加者もいたといい、副団長を務めた水曲柳会の寺沢秀文事務局長は「長時間の移動の負担は大きく、やはり元開拓団員の皆さんを伴っての訪中は今後難しい」とした。
一方で、現地政府や住民の全面的な協力を受けることができたことを振り返り、「戦後11回にわたって訪中し、交流してきた成果だと思う」と民間の友好交流活動の必要性を強調。「開拓団員の2、3世の参加もあり、かつての満蒙開拓の実態や生活の様子を知ることができる機会でもある。訪中活動は続けていかなければならない」と力をこめた。
◎写真説明:トウモロコシに囲まれた共同墓地跡で慰霊