阿智村駒場の満蒙開拓平和記念館は、初夏のミニ企画展「満州勤労奉仕隊の経験―下伊那報国農場女子隊員の手紙から」を開いている。当時19歳で同隊に参加し、旧満州に渡った旧和田村(現飯田市南信濃)の酒井貴恵さん(故人)の手紙を紹介しながら、同隊に光を当てている。18日まで。
酒井さんが参加した下伊那報国農場は、日本本土の食糧不足を補うため、1944年に下伊那郡町村会が編成し、青年学校の生徒や卒業生を対象に隊員を集めた。渡満期間は4~10カ月と短かった。
酒井さんは第二次隊員として45年3月、阿智郷や南信濃郷に近い満州北部の同農場へ渡った。第二次隊員は28人が入植し、女性の割合が高かった。同年8月、ソ連参戦と日本敗戦の混乱に巻き込まれ、生きて帰ることができたのは2人のみだった。
企画展では酒井さんが家族に宛てた手紙を紹介。「なんだか夢の国へでも行ったよう」と楽しい農場生活を書いている一方、別の手紙には男性2人が召集されたことを記しており、満州に不穏な気配がただよい始めている状況を示唆している。
手紙に同封されたスズランの押し花の実物や、日付の違う2通の死亡告知書も展示している。
大鹿村から開拓団として渡った岐阜県揖斐郡池田町の女性(87)は「私もアミーバ赤痢にかかって大変だった。辺り一面にスズランが咲いていた」と当時を思い出しながら、手紙をじっと見つめていた。
同館の寺沢秀文館長は「満州勤労奉仕隊や報国農場隊にはあまり目を向けられてこなかった。若い人が多く、終戦間際に渡りたくさんの方が亡くなった。平和な時代だからこそ、隊員たちがいたこと、悲しい歴史があったことを知ってほしい」と話した。
◎写真説明:酒井さんの手紙から下伊那報国農場隊を紹介している