豊丘村に嫁いだ勤王家、松尾多勢子(1811―94年)の生誕200年を祝う記念式典が9日、同村保健センターであった。多勢子のブロンズ像が初披露され、そのもとになった石膏の胸像と並んだ。2つの胸像は、15日まで村歴史民俗資料館で開かれている特別展で見ることができる。
多勢子は旧山本村(飯田市山本)生まれ。19歳で旧伴野村(豊丘村伴野)の松尾家に嫁いだ。7人の子を育て、52歳で単身上洛。尊皇攘夷運動に参加した。
記念式典では、多勢子の孫が嫁ぎ、石膏の胸像を村に寄贈した岐阜県中津川市の間譲嗣さん(79)と、多数の資料を村に提供したとして豊丘村神稲の松尾家を代表し松尾伸二さん(55)に、それぞれ下平喜隆村長から感謝状が贈られた。
ブロンズ像は、石膏の胸像同様に高さ38センチ、横27センチ、奥行き20センチ。台座は高さ1・4メートル。晩年のころの多勢子とされ、柔和な表情が特徴だ。
生誕200年の節目に向け、村が伝記に記載されていた写真をもとに多勢子のブロンズ像を探していたところ、ことし5月、多勢子の孫が嫁いだ間家にその複製があるのが分かった。それまでの経緯を知った間さんは寄贈を申し出て、村は複製をもとにブロンズ像の制作をした。
感謝状を受け取った間さんは「200年の節目に里帰りができた。多くの人に温かく迎えられ、感謝している」と述べた。
記念式典に続き記念講演会が開かれた。宮地正人・東大名誉教授が「松尾多勢子と国学~飯田下伊那と中津川をめぐる夜明け前の世界~」と題し語り、集まった住民ら約100人が耳を傾けた。