泰阜村の門島―田本駅間で起きた飯田線電車転覆事故から55年目を迎えた20日、当時国鉄の門島線路班だった滝下祐市さん(76)=飯田市鼎=と遺族ら6人が事故現場に設けられた慰霊碑を参拝した。
事故は1955年1月20日午後9時、最終電車赤穂(現・駒ケ根)行きの2両編成の電車が、門島―田本駅間で落石に乗り上げ、1両目が橋脚下に2両目が30メートル下に落下。5人が亡くなり、20人近い人が重軽傷を負った。
現場にはその年の3月、国鉄職員有志が慰霊碑を建立。門島線路班の班員が中心に毎年1月20日に参拝を続けたが門島線路班の廃止後、年中行事として参拝は行われなくなり、滝下さんが参拝するだけになっていた。
事故から45年目の2000年からは、5年ごとの節目に遺族へも呼び掛けて参拝を実施。今回は、亡くなった吉沢寿恵さんの遺族が訪れた。
自身も転覆した電車に乗っていたという吉沢寿恵さんの妹、唐木美恵さん=飯田市大門町=は「あの日はちょうど今日みたいに温かい日。洋装をやっていた姉と2人のお弟子さんと名古屋のファッションショーへ行った帰りだった。気づいたら野原にいて事故の記憶はないが、姉とお弟子さんの1人が亡くなってしまった」と振り返った。
毎年欠かさずに参拝を続けている滝下さんは「門島線路班出身者ももう私1人。元気なうちはずっと参拝を続けていきたい」と話していた。